日日

弥彦が剣心の過去を聞いたあと「剣心の強さ…あれは飛天御剣流の強さだけじゃなく死ぬよりも辛い心の痛みに耐えて生きてきた強さがあってこそのもの」「俺は本当の意味で強くなりたい」って言ってあの練習を十日で一万回こなして奥義を会得しようとひたむきに努力してる姿に本気で涙が出てくる。 #る
弥彦の引っ越しのために左之助が暮らしてた長屋をみんなで掃除する話とか、央太が長屋に住まう話とか(神谷道場に暫く身を寄せてもめちゃくちゃいいけど北海道編読むと違うところに住んでるっぽいので)、長屋周りのあれこれを考えるのも楽しすぎる。 #る
きっと比古師匠は自然の変化にも敏感だろうけど、年中行事というよりはただそこに在るものを在るものとして捉え生活に活かし慈しめるイメージ。星の動きとか風の匂いとかの知識を剣心はなんとなく覚えていて、そういう幼い頃の知識と薫殿の暮らしへの眼差しがどこかでリンクしたらいい。 #る
実は剣心が作中で唯一明確に料理してる場面って雷十太編の🍙だけかもしれない。
薫殿が料理苦手なのは描写されてるけど「剣心が料理上手」ってことは原作では描かれてない気がする。相対的に「薫殿よりはいい」ってだけで。北海道編で薫が料理上達している感じがあるので、二人で料理を練習するのもいい。

私は薫殿が東京編で剣心たちにおはぎを作ったのは『お彼岸だったから』なんじゃないかという説を勝手に唱えていて(泥まんじゅうと言われてたけど)、剣心は日常的な家事は熟せても年中行事についてはそういう生活と縁遠かったのもあって割と疎い部分もあったりするんじゃないかな〜、と思っている。
お彼岸には、毎年越路郎パパとおはぎ(ぼたもち)作ってたのかなあ〜。いつもは越路郎パパと作ってたし剣心に手伝ってもらわなくても自分一人でいけると思ったら全然ダメだった、でもいい〜。パパの料理の腕前がどんな感じかわからないから色んなパターンがアリで楽しい。

日々の家事は剣心が率先してやるけど、年中行事的な、季節を感じるものについては薫殿が主導なイメージがある。薫が率先してそういうことをやってくれるしそのことに対して剣心は毎回ささやかな感動を覚えてほしい。
#る
「剣は凶器 剣術は殺人術」という言葉は比古師匠から教わったもので、「甘い戯れ言」は赤空さんから掛けられた言葉。それが剣心の中にいつまでも残っているということが私はとても好きだよ。 #る
その上で、薫という今一番大切なものを失ったあと緩やかな自死を遂げようとしていた剣心が、それでもやっぱり助けを求める小さな声に反応して立ち上がるところが本当に本当に大好き。これを経た上で一緒に居るのが最高すぎ。 #る
「仏や修羅になる必要はない」ってあの一連の比古師匠の言葉が全部言ってくれてる。人間であれ。自惚れるな。生きろ。って剣心に語りかけてくれている。 #る
「自分はまだ死ぬわけにはいかない」と思う意志の根っこにあなたがいる。その気持ちがどんなときも力強い一歩をあゆませてくれる。互いにそんな存在である剣心と薫がやっぱりめちゃくちゃ良い。 #る
北海道編巻之二での「そこに居る緋村剣心の一番の親友だ」って自己紹介も、巻之八での「剣心の妻です!」って自己紹介もなかなか衝撃を受けたなって思い返してて、早く剣心にも越路郎さんに向けて自己紹介してほしいなって気持ちが再沸騰してる。 #る
それが揺らぐのが斎藤戦で、だからこそあのとき独りを選ぼうとしたんだ。 #る
手帖の方の感想絵の中でも書いてるけど、「地べたを舐めたい者はかかってこい」って言い放つ激情家な剣心が私は好きで、ここでポイントなのはどんなことでもキレやすいのではなく『理不尽な暴力で弱者が痛めつけられている』ことに対する激怒であり、「目の前で苦しんでいる人を助けたい」という精神性からくる"激情家"の一面であるというのが大好き。 #る
私は弥彦にとって一番身近な成人男性が剣心であることにとてもグッときているので、弥彦が神谷道場で寝起きしなくなってからも弥彦の第二次性徴(声変わりなど)に剣心が気づいてなにか話してくれたらめちゃくちゃ良すぎてひっくり返る。 #る
阿爛に対して剣心が「なんというか 弥彦とは勝手が違うでござるな」って言ってるの大大大大大好き。 #る
多義的で割り切れない人間関係が好きなのでアの三馬鹿が剣心や薫に絆されず完全に敵対もせず寝食を共にしている、というのがすごく好き。もともと剣心組のみんなの過去も剣心と相入れなさそうな事情ばかりで大好きだけど、更に現在剣心との信頼関係がないアの三馬鹿が行動を共にしていることが良い。 #る