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2024年6月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
瓦斯燈のともる風景
令和版アニメ「るろうに剣心」の1stOPの途中で瓦斯燈が登場します。
瓦斯燈と言うモチーフはキネマ版でも登場し印象的に使われており、私はキネマ版のあの一連のシーンも大好きです。
瓦斯燈を見るたびに、文明開化の象徴でもある瓦斯燈のその『光と影』をもっと見つめていたいと思いを馳せ、瓦斯燈のともる風景にとても胸がギュッとなるような感覚をいつも受けます。
ここでは深く触れませんが光があれば影があるのでそのあたりもいつか自分の考えをまとめられたな〜。
1stOPの途中で登場する瓦斯燈は検索する限り小平のガスミュージアムの瓦斯燈をモチーフに描いているのではないかと考え、過日、ガスミュージアムまで見に行ってきました。ガスミュージアムさんはこれまでのガスの歴史や暮らしの中のガスについても色々学べるめちゃくちゃ面白いミュージアムなのでぜひ行ける方は立ち寄ってみてください!
企画展も随時開催しているようで、私が訪れた時は「井上安治生誕160年記念 ガス燈ともる東京風景」がやっていて、大好きな井上安治の作品をたくさん見ることができてよかったです。
こちらのガスミュージアムさんに行ってみて初めて理解したのは
・アニメで描写されているものと似ている!と思ったガスミュージアムの瓦斯燈はイギリスのウェストミンスター寺院の瓦斯燈の復元であり、明治11年時点では日本に入ってきてはいないものだと言うこと。
・明治11年時点での瓦斯燈は裸火の瓦斯燈(蝙蝠翼型or魚尾型)になる。炎の色は赤黄色でちょっとした風でも揺らめく。上記のイギリスのウェストミンスター寺院の瓦斯燈はガスマントルと言う型で、オーストリアのウエルスバッハが明治19年に発明したもの。裸火の瓦斯燈と比べ明るさも5倍になり明治34年頃から国産化。明治40年頃には下向きマントルの登場で性能が増した。アニメで描かれているのはこの下向きマントルの形のもの。
思うのはアニメスタッフの方々はそこまでシビアには調査せずに色々な瓦斯燈の資料からこの形を華やかさなどの点から選んで(時代考証の細部はさておき)明治の文明開化を象徴するアイコンの一つとして描写したのかな、という想像です。
私個人的には時代考証を最優先するよりもゆるく楽しく作品の描写に合わせていく方が好みではあるのでその辺りはどちらでも良いなという感想です(例えばちゃぶ台は明治11年時点では普及していないはずだが原作ではちゃぶ台描写がある。私は”時代考証的に正しい”箱膳も良いけども、それよりもちゃぶ台を囲む剣心組が大好き)。
時代考証はさておき、実際に瓦斯燈を眺めることができて、瓦斯燈をOPに描写してくれてめちゃくちゃ嬉しい〜〜!という気持ちがさらに増しました。
話は明治初期の瓦斯燈に戻ります。
東京に初めて瓦斯燈がついたのは明治7年のことです(ちなみに明治4年に大阪造幣局の敷地の内外に瓦斯燈が設置されたり、明治五年には横浜に瓦斯燈が設置されたりしている)。
高島嘉右衛門とフランスの技術者プレグランの指導のもと、金杉橋から京橋にかけて85基設置されました。それが明治11年時点では356基まで増えます。
また、明治11年に新装開店となった劇場・新富座には舞台・客席に270灯の瓦斯燈が整備され東京で初めて夜間興行が許可されたそうです。この新装開店日は明治11年6月7日なのでちょうど剣心たちは京都にいる時ですね。
ちなみにこの新富座で明治12年にウエルノン一座を招いて上演した「漂流奇譚西洋劇」では河鍋暁斎と月岡芳年などが競作して行燈絵を描いています。
この新富座では看板の上に花ガスが灯されていたようです。花ガスとは炎色反応を利用したガスのネオンサインのようなもの。花や文字などを形づくり広告宣伝目的の看板などにも炎が使われていたとのこと。
私が行った日は実際に花ガスに火を灯す実演も行われていました!こちらは菊の形の花ガス。
※新富座では「新富座」という文字を形づくって火をともしていた模様。
明治時代に描かれた絵などを見ると瓦斯燈は時代の変化のシンボルの一つとして非常に存在感があったのだろうと思いを馳せてしまいます。幕末から明治初期にかけては世情も物騒だったこともあって夜間に出歩くことなんてとんでもない!という感じだったみたいですが、瓦斯燈の登場で夜の街がだいぶ明るくなったようです。生活の風景も瓦斯燈の登場によって大きく変化していきました。
※同人サイトから直接リンクを貼るのがなんとなく憚られるためhを抜いています。ご自身でコピペの上、hを足してアクセスしてください。
▶︎ガスミュージアム
ttps://www.gasmuseum.jp
#瓦斯燈 #生活採集
余談だけど下記はアニメの他のネタもと?かな??というメモ。
▶︎そのあと流れる映像、警視庁っぽい。こちらも明治後期〜大正前期の画像を参考にしているのでは。下記のリンク先参照。(このまちアーカイブスよく資料で拝見させてもらうけどめっちゃいい)
ttps://smtrc.jp/town-archives/city/hibiya/p04.html
▶︎次が明治初期の銀座のシンボルだった京屋時計店銀座支店をモチーフに描かれた井上安治画の多色木版摺っぽい??ここで鳩が飛んでるのもよすぎる〜!時の流れと平和の象徴!
▶︎川蒸気船・通運丸はこちらの錦絵を同じ構図でモチーフにしてることが分かる!両国橋なんだ〜!とってもいい〜
ttp://www.lmuse.or.jp/collection/gallery/nishikie/06.html
▶︎そして新橋ステンションは歌川広重<三代>画の錦絵を参考にしてそうと思ったんだけどどうだろう??
ttps://www.library.metro.tokyo.lg.jp/collection/features/digital_showcase/015/10/畳む
令和版アニメ「るろうに剣心」の1stOPの途中で瓦斯燈が登場します。
瓦斯燈と言うモチーフはキネマ版でも登場し印象的に使われており、私はキネマ版のあの一連のシーンも大好きです。
瓦斯燈を見るたびに、文明開化の象徴でもある瓦斯燈のその『光と影』をもっと見つめていたいと思いを馳せ、瓦斯燈のともる風景にとても胸がギュッとなるような感覚をいつも受けます。
ここでは深く触れませんが光があれば影があるのでそのあたりもいつか自分の考えをまとめられたな〜。
1stOPの途中で登場する瓦斯燈は検索する限り小平のガスミュージアムの瓦斯燈をモチーフに描いているのではないかと考え、過日、ガスミュージアムまで見に行ってきました。ガスミュージアムさんはこれまでのガスの歴史や暮らしの中のガスについても色々学べるめちゃくちゃ面白いミュージアムなのでぜひ行ける方は立ち寄ってみてください!
企画展も随時開催しているようで、私が訪れた時は「井上安治生誕160年記念 ガス燈ともる東京風景」がやっていて、大好きな井上安治の作品をたくさん見ることができてよかったです。
こちらのガスミュージアムさんに行ってみて初めて理解したのは
・アニメで描写されているものと似ている!と思ったガスミュージアムの瓦斯燈はイギリスのウェストミンスター寺院の瓦斯燈の復元であり、明治11年時点では日本に入ってきてはいないものだと言うこと。
・明治11年時点での瓦斯燈は裸火の瓦斯燈(蝙蝠翼型or魚尾型)になる。炎の色は赤黄色でちょっとした風でも揺らめく。上記のイギリスのウェストミンスター寺院の瓦斯燈はガスマントルと言う型で、オーストリアのウエルスバッハが明治19年に発明したもの。裸火の瓦斯燈と比べ明るさも5倍になり明治34年頃から国産化。明治40年頃には下向きマントルの登場で性能が増した。アニメで描かれているのはこの下向きマントルの形のもの。
思うのはアニメスタッフの方々はそこまでシビアには調査せずに色々な瓦斯燈の資料からこの形を華やかさなどの点から選んで(時代考証の細部はさておき)明治の文明開化を象徴するアイコンの一つとして描写したのかな、という想像です。
私個人的には時代考証を最優先するよりもゆるく楽しく作品の描写に合わせていく方が好みではあるのでその辺りはどちらでも良いなという感想です(例えばちゃぶ台は明治11年時点では普及していないはずだが原作ではちゃぶ台描写がある。私は”時代考証的に正しい”箱膳も良いけども、それよりもちゃぶ台を囲む剣心組が大好き)。
時代考証はさておき、実際に瓦斯燈を眺めることができて、瓦斯燈をOPに描写してくれてめちゃくちゃ嬉しい〜〜!という気持ちがさらに増しました。
話は明治初期の瓦斯燈に戻ります。
東京に初めて瓦斯燈がついたのは明治7年のことです(ちなみに明治4年に大阪造幣局の敷地の内外に瓦斯燈が設置されたり、明治五年には横浜に瓦斯燈が設置されたりしている)。
高島嘉右衛門とフランスの技術者プレグランの指導のもと、金杉橋から京橋にかけて85基設置されました。それが明治11年時点では356基まで増えます。
また、明治11年に新装開店となった劇場・新富座には舞台・客席に270灯の瓦斯燈が整備され東京で初めて夜間興行が許可されたそうです。この新装開店日は明治11年6月7日なのでちょうど剣心たちは京都にいる時ですね。
ちなみにこの新富座で明治12年にウエルノン一座を招いて上演した「漂流奇譚西洋劇」では河鍋暁斎と月岡芳年などが競作して行燈絵を描いています。
この新富座では看板の上に花ガスが灯されていたようです。花ガスとは炎色反応を利用したガスのネオンサインのようなもの。花や文字などを形づくり広告宣伝目的の看板などにも炎が使われていたとのこと。
私が行った日は実際に花ガスに火を灯す実演も行われていました!こちらは菊の形の花ガス。
※新富座では「新富座」という文字を形づくって火をともしていた模様。
明治時代に描かれた絵などを見ると瓦斯燈は時代の変化のシンボルの一つとして非常に存在感があったのだろうと思いを馳せてしまいます。幕末から明治初期にかけては世情も物騒だったこともあって夜間に出歩くことなんてとんでもない!という感じだったみたいですが、瓦斯燈の登場で夜の街がだいぶ明るくなったようです。生活の風景も瓦斯燈の登場によって大きく変化していきました。
※同人サイトから直接リンクを貼るのがなんとなく憚られるためhを抜いています。ご自身でコピペの上、hを足してアクセスしてください。
▶︎ガスミュージアム
ttps://www.gasmuseum.jp
#瓦斯燈 #生活採集
余談だけど下記はアニメの他のネタもと?かな??というメモ。
▶︎そのあと流れる映像、警視庁っぽい。こちらも明治後期〜大正前期の画像を参考にしているのでは。下記のリンク先参照。(このまちアーカイブスよく資料で拝見させてもらうけどめっちゃいい)
ttps://smtrc.jp/town-archives/city/hibiya/p04.html
▶︎次が明治初期の銀座のシンボルだった京屋時計店銀座支店をモチーフに描かれた井上安治画の多色木版摺っぽい??ここで鳩が飛んでるのもよすぎる〜!時の流れと平和の象徴!
▶︎川蒸気船・通運丸はこちらの錦絵を同じ構図でモチーフにしてることが分かる!両国橋なんだ〜!とってもいい〜
ttp://www.lmuse.or.jp/collection/gallery/nishikie/06.html
▶︎そして新橋ステンションは歌川広重<三代>画の錦絵を参考にしてそうと思ったんだけどどうだろう??
ttps://www.library.metro.tokyo.lg.jp/collection/features/digital_showcase/015/10/畳む
2024年5月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
歯磨粉と房楊枝
明治初期の文化風俗、生活採集をしたくてこのページを作ったのですが、しっかり記事をまとめようとすると二の足を踏みがちなのでもっと気楽な投稿を増やしたいです。
というわけで思いつくままのメモ〜!
こちらは2023年に作った初めての同人誌「或日のこと」内で登場させた歯磨粉。
本郷にあった洋品店「かねやす」で実際に売られていた人気商品「乳香散」です。
パッケージは私が探した範囲では確認できず、同時代の歯磨粉を調べると紙袋に入っているようだったので想像して描きました。
歯ブラシが一般的に普及するのはもう少し後のことなので、「房楊枝」を使っています。房楊枝は毎日使い捨てが粋らしい。
また、街に出た二人が房楊枝を買う場面が下記です。
店にいる女性は房楊枝を作っているところです。
(ちなみに上段は焼き芋、原作第二幕の背景内に登場する看板、飴細工)
こういうのもっと集めていきたい。
#生活採集 #暮らしの商店
明治初期の文化風俗、生活採集をしたくてこのページを作ったのですが、しっかり記事をまとめようとすると二の足を踏みがちなのでもっと気楽な投稿を増やしたいです。
というわけで思いつくままのメモ〜!
こちらは2023年に作った初めての同人誌「或日のこと」内で登場させた歯磨粉。
本郷にあった洋品店「かねやす」で実際に売られていた人気商品「乳香散」です。
パッケージは私が探した範囲では確認できず、同時代の歯磨粉を調べると紙袋に入っているようだったので想像して描きました。
歯ブラシが一般的に普及するのはもう少し後のことなので、「房楊枝」を使っています。房楊枝は毎日使い捨てが粋らしい。
また、街に出た二人が房楊枝を買う場面が下記です。
店にいる女性は房楊枝を作っているところです。
(ちなみに上段は焼き芋、原作第二幕の背景内に登場する看板、飴細工)
こういうのもっと集めていきたい。
#生活採集 #暮らしの商店
2024年4月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
神谷道場見取り図考察
仮に、道場へ続く正面の門を南側、台所を北側としてみた時、それぞれの位置関係を考察してみる。
#原作情報整理 #神谷道場 #建築
今までいろんな媒体でそれぞれの形を見せてきた神谷道場。
全てがマルチバースであり全てのキャラクターを似て非なる魂と認識しているのと同じで、私は全ての神谷道場も別建築物だと考えています。
その中でも特に無印原作全28巻における蜃気楼のような捉え所のない神谷道場が本当に本当に大好きだ!たぶん設定をちゃんと作っていないがゆえに毎回描写が変わるけどそんなところも含めて好きすぎるので、下記は見取り図を作るにあたって原作描写を拾っていった、というだけの資料です。
存在することは確実な風呂はこの辺りかな〜とか、ここにはこういうものがあってもいいな〜みたいな個人的な希望をこの段階では一旦できる限り除いたものになります。
※ここに抜き出したのは原作の一部であり全てではありません※
※これを元になるべくニュートラルな状態の無印原作神谷道場を考えてみたのが上記の間取り図です※
※あまりにも毎回変わるのでニュートラルな状態も難しいけど家具の位置を比較的満遍なく拾ってるつもり※
※今後もっと更新していきたい※
[1巻1幕17ページ]
道場北側に神棚と刀掛け。東側に「神谷活心流」とその下に門人札。
この時点では道場右奥の扉が存在しない。
[1巻6幕148〜149ページ]
居室から出て東側の縁側を歩き道場から出て左之助を迎える剣心。
[2巻11幕93ページ]
縁側で寝ている薫の背後に裏口。
[2巻15幕170〜180]
便所の位置が縁側の南側突き当たり(道場側)にある。(のちに、この時点では描かれていなかった道場右奥の扉とは繋がっている?移動した?)
[3巻17幕29〜32ページ]
剣心と恵が話している部屋は井戸の目の前。薫の背後にもう一つ部屋が見えることから道場から2番目。しかし32ページでは道場に一番近い部屋の前に剣心がいる。
[3巻20幕87〜90ページ]
薫に殴られた剣心が倒れているそばに箱形と丸型の何か入れ物。
ちゃぶ台の形も確認できる。
左之助が「寝間を借りる」という発言。
[5巻38幕161ページ]
道場左奥の扉からおむすびを持ってくる剣心。背後の廊下は畳廊下。
扉は引き戸。
[8巻60幕49〜60ページ]
薫の部屋。南側に襖。
[18巻152幕70ページ]
庭に敷かれた木の板が北側の方まで伸びている。
またこのコマでは縁側の床が奥まで伸びている。北側の縁側の突き当たりに扉がありそうに見える。
[18巻156幕157〜159ページ]
おそらく剣心の部屋だが文机や硯などが確認できる。文机のしたや箪笥の上に箱状の小物入れ?
布団、箪笥、薫が入ってきたときに剣心左之助の背後には襖があることなどからこの時の襖の位置は西側と推測できる。8畳であることが確認できる。
[18巻156幕162ページ]
薫の部屋。衣紋掛けの位置は東側。
[18巻156幕163ページ]
道場右奥の引き戸がここで確認できる。
[18巻157幕169ページ]
道場右奥の扉から閉め出される剣心。引き戸の外には樽などの荷物。
扉は2巻の便所の描写とは異なり2枚分の広さがある。道場側から見た時も扉は一枚分(165ページ)。
[19巻164幕124ページ]
追憶を語るときの縁側。井戸と沓脱石の位置が大きく変わっている。
[20巻171幕64ページ]
小休止。左之助の背後、北側の縁側突き当たりに扉がある。
[20巻171幕65ページ]
小休止。燕が土間と居室の間に座っている。竈の位置は台所西側。ここを見ると居室は6畳に見え、台所の西側が居室よりも出ているいるようにも見える。竈の横、居室側には棚がある。弥彦と左之助の位置が途中で変わるが弥彦の背後には襖がある(おそらく南側)。
[21巻180幕53ページ]
薫の部屋。8畳であることの確認。部屋の北西側に箪笥。
[21巻182幕94ページ]
道場右奥の扉から出ていく剣心
[21巻184幕141ページ]
神谷道場の道場部分全景。道場西側には田んぼ。
[22巻189幕48ページ]
神谷道場の目の前のお屋敷。
[24巻209幕45〜48ページ]
操が薫の位牌を見る場面。おそらく位牌の位置は部屋の南側。ここにも箪笥。北側は襖になっている。
[28巻251幕63ページ]
沓脱石は二つ目の部屋の前にある。
[28巻252幕94ページ]
剣心が薫の部屋を訪れた時、縁側の柱が3本目の位置にいる。
その前のページで薫の背後に箪笥と鏡台。
[28巻254幕181ページ]
井戸よりも道場側に物干し竿(253幕で同じ物干し竿の形状が確認できる)
[28巻253幕100〜103ページ]
蒼紫と剣心の茶の湯は部屋の内装から剣心の居室で行われているように見える。103ページの出てきた位置を考えると道場側から三つ目の部屋で行われているように見える。
沓脱石は三つ目の部屋の前にある。
畳む
2023年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
無印原作 時系列整理
考現学というよりは基本となる原作情報の整理です。
私自身の推論を含むものとなっている上、ざっくりとしたものなのでこれが正しい時系列というわけではありません。
また、今後新たに気づいたことがあれば随時加筆修正していきます。
#原作情報整理 #時間
※『』でくくってあるのは原作に記載のあった時間経過のわかる文言です。
※正確な日付は割り出せないのですが、より時間経過をイメージしやすいように原作に書いてある記述をもとに推論を交えながら5月14日以降は仮の日付を代入しています。
※月の描写も時間経過に関わると思い念の為書き込んでますが特に深い意味はないと思います。
明治11年
〜満月の夜〜
・剣心、薫と出会う
〜『数日後』〜
・剣心、街中で再び薫と会う
・この日の夜に神谷道場にてニセ抜刀斎(比留間兄弟)と闘う
〜ニセ抜刀斎騒動から『早一週間』〜
・剣客警官隊との騒動
〜『剣心が剣客警官隊を叩きのめした翌日』〜
・『冬の終わりの寒い日』(※第二百八幕の弥彦の回想)橋の上で弥彦、剣心と薫に会う
〜『弥彦の怪我は一週間でほぼ完治』〜
〜『二日目で早くもサボる』『明治11年早春のこの日』〜
・菱卍愚連隊騒動
〜特に○日などの時間経過の記述はないが、後日〜
・赤べこにて左之助、剣心薫弥彦と会う
・恐らくその日の夜に比留間兄弟から剣心と闘って欲しいと喧嘩の依頼がある
〜剣心の素性を探るべく左之助、京都へ出ていって『二週間』〜
・左之助、剣心と闘う
〜『そして翌日』〜
・赤べこの前で左之助と再会
〜特に○日などの時間経過の記述はないが、後日〜
・谷邸にて刃衛と闘う
・ここでも満月の描写
〜『翌朝』〜
・神谷道場には左之助だけ帰る
・リボンとわがまま
〜『今晩零時』〜
・鎮守ノ森 奥 稲荷ノ前にて刃衛と闘う
・ここでも満月の描写
〜特に○日などの時間経過の記述はないが、後日〜
・集英屋で剣心左之助、恵と会う
〜その日の夕方〜
・河原で蒼紫を遠目に確認
〜その日の夜〜
・弥彦が縁の下で平べったくなっていたのは『夕方からずっと』らしいので同日に恵から聞き取り行い、その日の夜に神谷道場は襲撃にあったと思われる。
・弥彦、曼陀羅葉の毒にやられる
・弥彦は『三、四日もすれば回復』
・般若は剣心から肝臓を突かれて戦闘は二、三日は無理
・『三日であの男の過去を洗え』と諜報活動を命じられる
〜というわけで神谷道場襲撃から三日後〜
・日中、恵がおはぎを作る→夕方、観柳に脅されて神谷道場を去る→夜、観柳邸での闘い
〜特に○日などの時間経過の記述はないが、後日〜
・番外編「弥彦の闘い」
〜弥彦の様子がおかしいと話してから『数日後』〜
・剣心薫左之助で弥彦を尾行
・長岡幹雄に鍵型を奪われる
〜明朝〜
・弥彦、即席訓練器を作る
〜その日の夜〜
・幹雄との闘い
・ここでも満月描写あり
・「春にセミはいねーよ!」
〜特に○日などの時間経過の記述はないが、後日〜
・雷十太編
・前川道場に雷十太がくる
〜特に明確には記述なしだが別日(左之助の『俺が寄らなかった日にそんな面白え奴が』という発言)〜
・塚山邸に呼ばれる
〜『翌朝』〜
・由太郎が神谷道場を訪ねてくる
〜『真古流の襲撃から十日程』〜
・赤べこで食事
・夜、雷十太が襲撃
〜特に○日などの時間経過の記述はないが、後日〜
・由太郎の見舞い
〜『一週間後』〜
・由太郎の出立(新橋駅)
〜特に○日などの時間経過の記述はないが、後日〜
・左之助、津南と再会
・『もう春だってのに冷めた風が吹きやがる』
〜『翌日』〜
・夜に神谷道場で宴会
〜『三時間後』〜
・『新月の夜の星明かりも僅かな闇に紛れて』内務省を左之助と津南が襲撃未遂
〜特に○日などの時間経過の記述はないが、後日(逆算するとこの日は5/3の可能性が高い)〜
※「道場で考え込む剣心」のシーンの翌日に斎藤から手紙をもらったのだと仮定した場合("翌日"などとは書かれてないが漫画表現を素直に受け取ると翌日に思える)この日は5/3の可能性が高いと言える。
・出稽古の帰り、桜の描写
・斎藤一が神谷道場を訪れる 左之助に重傷を負わせる
・夜、渋海と赤松と斎藤が西脇料亭にて会合
〜『三日後』〜
※5/6の可能性が高い
・まだ左之助の意識は戻らず
・道場で考え込む剣心
〜後日(5/14から逆算するとこの日は5/7)〜
・斎藤から手紙をもらう 出向いた先で赤松と闘う
・弥彦の『ここに来てもう三か月近くになるんだから』という発言
・夕方に赤松との闘いを終えて神谷道場に帰ってくる剣心(夕日)
・そのあと神谷道場にて斎藤との闘い
・月の描写あり 月齢およそ25くらい ※史実の月齢とは異なる
・大久保利通から志々雄の話
・5/14 午前 『明治十一年五月十四日 ー午前ー』大久保利通暗殺 ※史実では午前8時30分頃
・5/14 午後 『明治十一年五月十四日 ー午後ー』剣心、警視庁にて川路、斎藤、山吉と会う
・5/14 夕方 夕日の描写 橋のところで物思いにふける剣心
・5/14 夜 剣心、薫にのみ別れを告げて京都へ発つ
・弥彦が寝てしまうくらいの時間
・5/15の夕方に小田原通過 夜に箱根の山の中で『久しぶりの野宿』をしようとする→操と出会う
・5/16鬼ごっこ
・新月村に着いたのが東京を出発してから『三日目』 →5/17
・日本橋から京都三条大橋まで492kmほど。新月村は沼津宿から少し離れたところにある→約130〜140kmくらい?東京を発って三日目で、かなり順当なはずなのだが、本来であれば道中後半に入っているとのこと。
・京都に着くには5〜6日くらいかかりそう??仮に5/19とする
・︎薫が寝込んでいたのは『おまけに この二日何も口にしねェ』→5/15〜16の間寝込んでいる
・︎蒸気船で大阪まで恐らく2〜3日?→剣心と同じ頃薫弥彦も京都に到着している
※今後この蒸気船についてもっと調べたい
・(仮に)5/19に剣心と操が京都到着したと仮定する
・京都1日目は葵屋のみ
(以下日付は全て仮定)
・5/20 京都2日目 赤空の死亡確定 八年前に亡くなってた
・京都について9日目くらいに張との闘い
・5/28 葵屋に『10日間』の滞在
〜『三日後』〜
・5/31 赤べこにて操と薫弥彦の出会い
・︎その日の夜 剣心、比古師匠と再会
・︎剣心、薫と弥彦と再会
〜チチチ…と朝になる描写〜
・6/1 剣心修行開始
・薫弥彦操は師匠のところに一泊した?ちょっと蒼紫対翁に操が駆けつける時間表現について再考の余地あり
・翁、蒼紫と再会
・蒼紫、志々雄のアジトである比叡山の一角へ→同盟成立
・梟爪衆が葵屋を襲撃
〜翌朝〜
・6/2 梟爪衆全滅→翁が梟爪衆の背中に彫った文字『午の刻 阿の処にて待つ 一人で来たれし 翁』
〜その日の午の刻〜
・蒼紫対翁 蒼紫が勝ち葵屋へ
〜夜〜
・相楽左之助 堂々の京都到着 ※「一週間前 街で大ゲンカをやらかした男をここ(牢屋)にぶち込んだんだが…」ぶちこまれたらしい
〜修行始めて『1週間』経過〜
・6/8 九頭龍閃を会得
〜翌日〜
・6/9 奥義会得
〜翌日〜
・6/10 警察署へ 『今朝方 天ヶ岳のふもとの駐在に』剣心が現れる
・︎『23:59』 大火
〜『次の日』〜
・6/11 葵屋へ
〜『明朝出発』〜
・6/12 vs志々雄一派 1日闘う
〜『1ヶ月後』葵屋に張がくる〜
・7/13 『梅雨はすぎ初夏を迎えた』
〜『1週間後』〜
・7/19 剣心、巴の墓参りへ「来年の盆に来るよ」という言葉
・7/22 東京には船で帰っている。横浜港→新橋駅→浅草界隈を経て神谷道場へ。
〜東京に戻ってから縁来訪まで何日だろう〜
帰ってきた当日は赤べこで飲み明かしている。
どんなに少なく見積もっても剣心が弥彦に対して稽古をつけた日、みんなで浅草に行って飲んだ日(=赤べこが襲撃にあった日)、その次の日(燕が来る&前川道場と浦村署長宅が襲撃される)、の3日間は確定している。
ここでは剣心の追憶の最後にある『志々雄真実の内乱 その二ヶ月後』という文面をそのままぴったり「二ヶ月後が今日(=縁の来訪)」とし、この時系列メモの中では8月12日に縁が来訪した(その日の夜に剣心が過去をみんなに語った)と仮定しようと思う。
というわけで
・8/12 ︎縁 来訪
※志々雄真実の内乱 その二ヶ月後
その日の夜に剣心はみんなに過去を語る
〜翌日〜
・8/13 薫、京都へ手紙を出す→数日後に届く
〜縁の来訪から九日目(決戦前日)〜
・8/21 告白
〜縁の来訪から10日後に決戦 夏祭りの日〜※参考までに隅田川の花火大会は7月末
・8/22 縁との闘いin神谷道場「今日はあと4、5時間」
・8/23 最短で次の日の夕方に葬儀をしたと仮定する
・8/24 廃人化した剣心を見つける(葬儀の場面は夕方だが剣心を見つけたのは昼間のため翌日以降だと推測できる)。その日の夜に蒼紫と操が東京到着。
・※薫が出した手紙が仮に8/15に届いたとして、、そこから蒼紫と操は徒歩で移動?何日かかったのかわからないが、剣心を落人群で発見した日と蒼紫と操が東京に到着した日は同じ。
・8/25 次の日操と弥彦が剣心に会いに行く
※オイボレの『三日振り』に落人群に帰ってきたという発言、そしてこの日に剣心とオイボレは初めて会っている様子(十字傷を見て驚いている/会ってはいないが「侍が群に来た」ということは噂で聞いていたようだ)
→このことから、剣心が落人群に来てからこの日まで三日以内であることが推測できる。
・この日の夜 墓を暴く
・おそらく次の日である8/26 斎藤の元へ
→行動開始
・8/28 『三日で』調べつくした(8/26を含めた場合)
・8/29 次の日 鯨波と弥彦の闘い『午後四時四十七分 鯨波兵庫 捕縛』 剣心復活
・9/1 『丸三日眠りっぱなし』→この日から『四日後出発』する
・9/1 左之助、右喜と央太に再会
・9/2 左之助、上下ェ門に再会
・9/3 『翌日』左之助、大暴れ
・9/4 左之助の移動日
・9/5 左之助が東京に戻ってくる→剣心の目覚め→孤島での最終決戦
・9/12 孤島での最終決戦から『一週間後』 剣心と薫、京都にて巴の墓参りをする
静養期間を仮に一ヶ月として…
・10/12 秋風
・10/18 恵、蒼紫、操の出立
・この日左之助が逃亡
・10/25 左之助 『一週間』音沙汰なし→左之助の船出
そして──月日は流れ──明治十五年
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【るろうに考現学】
るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-に生きる人たちの描写を通して、生活に寄り添い、文化風俗、地理や衣食住について観察・分析・調査・妄想をします。
例えば
・神谷道場見取り図
・東京〜京都道中考
・明治食図鑑
・生活道具採集
・衣服路上観察
・暮らしの商店
・季節と行事
・将棋解説
これから随時更新していきます!
上記以外にも気になったことや考えたことなどを「考現学」から少し外れていてもここに集約させていきたい。
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当サイトおよび各種SNSでの私の発言は全て私個人の感想・解釈であり、私個人の趣味嗜好によるものです。それと異なる意見・感想・解釈を否定する意図はないことをご理解いただければ幸いです。
また、原作漫画及び参考資料をもとに繰り広げる考察も全て私個人の妄想です。
出典元などを明記するよう心掛けておりますので、決して鵜呑みにはせずにご自身の判断でお楽しみいただければと思います。畳む