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その当時、葬儀は「葬式組」という隣近所の人達で構成された組合が執り行っていたそうで、そこから葬具の調達、弔問客の接待、近所に知らせる"早使い"などを行う人員を手配していたようだ。人誅の時は、恵さんや妙さんもだけど、神谷道場のご近所さんたちが葬儀を執り仕切ってくれたのかもしれない。あと死亡届に医師の診断書が必要になったのは明治10年からだそうだから、恵さんは診断書も書いたのかもしれない。 #る #メモ
明治11年の夏は越路郎さんの初盆(亡くなってから初めて迎える盆のことを初盆・新盆という)。

明治5年に旧暦から新暦へ変更されてから東京ではお盆も7月になったそうだから神谷家的には7月盆なのかも。全国的に新暦を浸透させようとするも農業が盛んな地域では旧暦と季節が密接な関係のためいきなり改暦しろといわれても浸透しなかったらしく、その名残で現代でも8月盆の地域の方が多いけど、東京は7月盆とのこと。
7月盆でも8月盆でも越路郎さんの初盆であることには変わりないけど、京都から帰ってきたりその後すぐに縁の襲来があるので落ち着いてお盆を過ごすことはできなかっただろう。

葬儀や盆などの儀式・手順を通して、不在の関係性にゆっくりと想いを馳せ距離をはかっていく、あの時間。
それぞれがその時間をどういう風に過ごすだろうかと考えるのも好きです。 #る #メモ
江戸時代にあった町木戸(町の境にあって夜は閉まるやつ)は明治5年に撤去されてるんだな〜。長屋の入り口にあたる裏木戸についていつまでどのようになってたかあとで調べたい。#る #メモ
考現学のページ、メモ的な気軽な投稿も増やそうと思いつつやっぱり記事を上げようとするとある程度文章量や絵を揃えてあげたいと思ってしまう。ので。ここにちょっとメモ。
左之助の住む破落戸長屋の間取りや諸々情報詰め込んだものをいつか描こう描こうとしてまだちゃんとまとめられてない。
玄関部分にあたる戸の障子に、「丸印に左の文字」が書かれているけど、あれは本来他の長屋の住人もみんなファーストネームを書く慣わしがあり、表札みたいなもの(屋号みたいに職業も併記する場合もある)。だから弥彦が引き継いで借りるなら「弥彦」と書くかも。
長屋の障子や畳などは全部自分で買って用意するものらしい。 #る #メモ