2024年9月[7件]
第2期第3弾PV〜!第2弾キービジュ〜!OP発表〜!追加キャスト解禁〜!情報の嵐!
10月3日(木)深夜24:55〜放送開始ということも発表になりました。
これは、もう、本気で10月3日までに原稿をなんとかしておかないと原稿も生活も破綻しそう。
るろうに剣心展 30th Anniversary Exhibition 志々雄真実篇 も控えているし京都へ行かなければならないので本当になんとかしないと……。
なんかこういう新情報発表されるたびに思うのですが、「何度でも彼らに出会うことができるんだ」、みたいな、気持ちになって、作品に改めて出会い直せた新鮮な喜びで泣いてしまいます。
前世で大好きだった人に時を超えて再び巡り会えたような?そういう類の心地に包まれるというか。
前世とはまた違うけれど限りなく似て非なる魂を持っていて、そんな彼らに改めて新しく出会うことができた喜びというか。
関わってくださる方々それぞれがるろ剣に向き合って新しいるろ剣を生み出してくれてるんだと思うと、もう嬉しさで胸がいっぱいです。
原作ファンなのでメディアミックスのたびに思うところは色々あれど、自分なりの距離感でめいいっぱい楽しみたいです。
こうして心が泡立つ瞬間があるたびに「るろうに剣心」を好きでよかった〜!と思います。
ちなみに第1期の「序幕東京」総集編もフジテレビで放送決まったので、令和版アニメるろ剣興味あるけどまだ第1期見たことないよ〜って方がいらっしゃったらぜひご覧ください。
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#るろうに剣心 #令和るろアニ
waveboxでご質問いただいて芋蔓式に記憶の扉が開いたので取り留めのないことを記します。ちょっと長い。
ちなみにいただいた質問とはあまり関係のないズレた内容をつらつら語っている。
私がはじめて「るろうに剣心」を読んだのは中学生の頃です。大人になってもずっと作品自体は好きだったもののなかなか自ら二次創作を描いて発信することはなかったのですが、2022年にるろミュを観たことでスパークして原作の二次創作をするようになりました。
るろミュがミュージカルとして素晴らしい演出・演技だったということはもちろんなのですが、私にとって一番鮮明に受けた衝撃は「原作の良さを強烈に再認識させてくれたこと」でした。
これまで当たり前に好きだと思っていたキャラクターやストーリーや世界観が、視覚的・聴覚的に圧倒的なリアリティを持ってガツンと脳天に突き刺さった忘れがたい体験です。
そうやってあらためて原作が大好きだと実感できた2022年。まずは自分の中の原作認識の整理を行い、あくまで(出来る限り)フラットに寄り添いながらニュートラルな視点を持った上で自分の感情に向き合いたいな〜と思いました。その気持ちは今も心に留めています(実践できているとは思っていません)。
人間って読みたいようにしか読めないし、
見たいようにしか見ることができない部分があると思うのですが、
そういう自分の歪みを認知した上で原作に向き合いたい、と思いました。
何度も繰り返し読んできた原作だけど、「自分の感情によって視界が曇る」ということに可能な限り自覚的でいようと思った時に結びついたのがジャン・ルノワールの「イタリア式本読み」です。
これは元々演劇で行われてきた手法の一つで、"極限までニュートラルに感情を抜いた声(いわゆる棒読み)で本読みをし続けていくと「生まれる何か」がある"、"あらかじめ想定した感情のニュアンスをつけてしまうとそこからの発展はない"、みたいな感じ。とにかく感情を込めずに発声を繰り返すことで「先入観のまま読解することを防ぐ」ような手法です。
私には演劇の経験はないしこれをしたところで生まれる何かはないのかもしれないけれど、たまに原作を感情を込めずに音読すると文字をそのまま脳で処理するのではなく自分の声を一度挟むぶん黙読するよりも少しだけ客観的になれるような気がします。
これは、私自身は感情移入を否定しているわけではなく、むしろめちゃくちゃ感情移入するタイプの人間だと思うからこそ「表層を表層としてあるがまま受け止めること」「感情移入を一旦せずに、書いてあることをそのまま『文字通り読む』こと」が今の自分には必要だと感じた結果思い至ったことです。これを心掛けた先にようやく初めてそこに書かれていないこと、行間を読むこと、自分が本来したい形での感情移入、ができるんじゃないかと思っています(実践できているとは思っていません)。
ところで明治について色々調べていく中で知ったことですが、江戸時代〜明治前期は「読書=音読」が一般的で、黙読をするようになったのは明治中期以降のことのようです。
イタリア式本読みを意識するかしないかは一旦脇に置いておくとしても、音読するって結構楽しい。
※上記は、私個人の萌えの方向性がこっち(こういう向き合い方をするとめちゃ楽しい)というだけで、それ以外の作品の愛し方や発露を否定する意図は全くないです!!
畳む
ちなみにいただいた質問とはあまり関係のないズレた内容をつらつら語っている。
私がはじめて「るろうに剣心」を読んだのは中学生の頃です。大人になってもずっと作品自体は好きだったもののなかなか自ら二次創作を描いて発信することはなかったのですが、2022年にるろミュを観たことでスパークして原作の二次創作をするようになりました。
るろミュがミュージカルとして素晴らしい演出・演技だったということはもちろんなのですが、私にとって一番鮮明に受けた衝撃は「原作の良さを強烈に再認識させてくれたこと」でした。
これまで当たり前に好きだと思っていたキャラクターやストーリーや世界観が、視覚的・聴覚的に圧倒的なリアリティを持ってガツンと脳天に突き刺さった忘れがたい体験です。
そうやってあらためて原作が大好きだと実感できた2022年。まずは自分の中の原作認識の整理を行い、あくまで(出来る限り)フラットに寄り添いながらニュートラルな視点を持った上で自分の感情に向き合いたいな〜と思いました。その気持ちは今も心に留めています(実践できているとは思っていません)。
人間って読みたいようにしか読めないし、
見たいようにしか見ることができない部分があると思うのですが、
そういう自分の歪みを認知した上で原作に向き合いたい、と思いました。
何度も繰り返し読んできた原作だけど、「自分の感情によって視界が曇る」ということに可能な限り自覚的でいようと思った時に結びついたのがジャン・ルノワールの「イタリア式本読み」です。
これは元々演劇で行われてきた手法の一つで、"極限までニュートラルに感情を抜いた声(いわゆる棒読み)で本読みをし続けていくと「生まれる何か」がある"、"あらかじめ想定した感情のニュアンスをつけてしまうとそこからの発展はない"、みたいな感じ。とにかく感情を込めずに発声を繰り返すことで「先入観のまま読解することを防ぐ」ような手法です。
私には演劇の経験はないしこれをしたところで生まれる何かはないのかもしれないけれど、たまに原作を感情を込めずに音読すると文字をそのまま脳で処理するのではなく自分の声を一度挟むぶん黙読するよりも少しだけ客観的になれるような気がします。
これは、私自身は感情移入を否定しているわけではなく、むしろめちゃくちゃ感情移入するタイプの人間だと思うからこそ「表層を表層としてあるがまま受け止めること」「感情移入を一旦せずに、書いてあることをそのまま『文字通り読む』こと」が今の自分には必要だと感じた結果思い至ったことです。これを心掛けた先にようやく初めてそこに書かれていないこと、行間を読むこと、自分が本来したい形での感情移入、ができるんじゃないかと思っています(実践できているとは思っていません)。
ところで明治について色々調べていく中で知ったことですが、江戸時代〜明治前期は「読書=音読」が一般的で、黙読をするようになったのは明治中期以降のことのようです。
イタリア式本読みを意識するかしないかは一旦脇に置いておくとしても、音読するって結構楽しい。
※上記は、私個人の萌えの方向性がこっち(こういう向き合い方をするとめちゃ楽しい)というだけで、それ以外の作品の愛し方や発露を否定する意図は全くないです!!
畳む
2024/09/11 0:58にメッセージをくださった方へ
こんばんは!質問ありがとうございます!
第十三幕、フルスロットルで鋭さがキレキレで本当に本当に射抜かれますよね。刃衛編、私も大好きです。
全巻それぞれ思い入れがあり本当にどれか一つを抜き出すのはとても悩ましいのですが、一番読んだ回数が多いのは巻之一の第一幕かもしれません、、!
というのも、ご質問していただいて記憶の扉が開いたのですが、中学生の頃に第一幕を部屋で一人ひたすら暗唱していた時期がありました。(?????)
その様子を俯瞰して思い返してみると熱が入りすぎててめちゃくちゃ面白いのですが、それはそれとして音読は今も作品を読解していく上で個人的に大切にしてる行為の一つです。中学生の頃はそんな意識はしていませんでしたが、今は「イタリア式本読み」という方法に興味があったりします(どんどん質問からずれていくので別記事で語らせてください、、)。
第一幕の最初から最後までの洗練された流れ、言葉選びがめちゃくちゃ好きで、残酷な現実を痛いほど思い知りながらそれでも薄甘い理想を信じ続けたいと願う剣心の姿勢に心底感銘を受けました。
原画展での原稿と先生のコメント↓(写真撮影可でした)
もう この先生の振り返りのコメント含めて 大好きです……____
刃衛編にも深く関係するシーンですね〜!
なんだか余計な語りが多くて恐縮ですが、質問嬉しいです!この度はメッセージありがとうございました!畳む
こんばんは!質問ありがとうございます!
第十三幕、フルスロットルで鋭さがキレキレで本当に本当に射抜かれますよね。刃衛編、私も大好きです。
全巻それぞれ思い入れがあり本当にどれか一つを抜き出すのはとても悩ましいのですが、一番読んだ回数が多いのは巻之一の第一幕かもしれません、、!
というのも、ご質問していただいて記憶の扉が開いたのですが、中学生の頃に第一幕を部屋で一人ひたすら暗唱していた時期がありました。(?????)
その様子を俯瞰して思い返してみると熱が入りすぎててめちゃくちゃ面白いのですが、それはそれとして音読は今も作品を読解していく上で個人的に大切にしてる行為の一つです。中学生の頃はそんな意識はしていませんでしたが、今は「イタリア式本読み」という方法に興味があったりします(どんどん質問からずれていくので別記事で語らせてください、、)。
第一幕の最初から最後までの洗練された流れ、言葉選びがめちゃくちゃ好きで、残酷な現実を痛いほど思い知りながらそれでも薄甘い理想を信じ続けたいと願う剣心の姿勢に心底感銘を受けました。
原画展での原稿と先生のコメント↓(写真撮影可でした)
「少年漫画なんだけど、勝ったら正義、負けたら悪、ということではない。残酷な部分もあるんだけど、明るい部分を見つめていたいという自分自身の感覚が無意識にでているセリフだな、と今振り返ってみて思います。」
もう この先生の振り返りのコメント含めて 大好きです……____
刃衛編にも深く関係するシーンですね〜!
なんだか余計な語りが多くて恐縮ですが、質問嬉しいです!この度はメッセージありがとうございました!畳む
畳む
1915年9月28日は斎藤一(藤田五郎)氏が亡くなった日だそうです。
写真は去年会津に行った際にお墓参りをしたときのもの。また今年も会津に行く予定があるのでゆっくり歩いて回りたい!