カテゴリ「murmur」[34件]
10/27のスパーク、無事終了いたしました!
浪漫博覧会主催者様、お立ち寄りいただいた方々、気にかけてくださった全ての方々、本当にありがとうございました!
お声掛けいただけたことの一つひとつがすごく嬉しくって、思い出しては心温かくなっております。
たくさんの差し入れもありがとうございました!一つひとつ大事にいただきます。
一部の方にお渡ししそびれてしまった印刷上の注意書き&謝罪と情報更新方法の紙です。準備不足で申し訳ございませんでした。
どうぞよろしくお願いいたします!
また、11/23のWEB後夜祭にも参加予定なのですが、それよりも早めに通販を開始できそうです。
新刊はありがたいことに完売したので再印刷いたします。
その際に一部加筆修正をさせていただければと思います。
初版でのミス、本当に申し訳ございません…。
加筆修正箇所は下記の通りです。
「燈光画報 第一号」修正箇所
▶︎本文16ページ目
三条燕 着物の合わせの修正をしています。
「燈光画報 第一号 副読本」(コピー本) 修正箇所
▶︎3ページ目
【2段目5行目】
・段落位置が2文字ぶん下がっていたため、1文字分上にあげる修正を行いました。
【2段目13行目】
・文章表現の修正を行いました。
(誤)本を読んだり地図を見ながら歩いたりしながらこの本を書きました。
(正)本を読んだり地図を見ながら歩いたりしてこの本を書きました。
「燈光画報 第一号 副読本」(コピー本) 修正箇所
▶︎5ページ目
【4〜6行目】
「その写真は上條真埜介『そこにあった江戸』のP190に載っているのでよかったらご覧ください!」を加筆しています。
「燈光画報 第一号 副読本」(コピー本) 修正箇所
▶︎8ページ目
【29行目】
「団子坂で隆盛を誇った 菊人形 https://youtu.be/ir5-N5mbquM?si=mInxpD6j...」を加筆しています。
現在の予定では11/10に通販を開始できればと考えております!
どうぞよろしくお願いいたします!
#るろうに剣心 #イベント
浪漫博覧会主催者様、お立ち寄りいただいた方々、気にかけてくださった全ての方々、本当にありがとうございました!
お声掛けいただけたことの一つひとつがすごく嬉しくって、思い出しては心温かくなっております。
たくさんの差し入れもありがとうございました!一つひとつ大事にいただきます。
一部の方にお渡ししそびれてしまった印刷上の注意書き&謝罪と情報更新方法の紙です。準備不足で申し訳ございませんでした。
どうぞよろしくお願いいたします!
また、11/23のWEB後夜祭にも参加予定なのですが、それよりも早めに通販を開始できそうです。
新刊はありがたいことに完売したので再印刷いたします。
その際に一部加筆修正をさせていただければと思います。
初版でのミス、本当に申し訳ございません…。
加筆修正箇所は下記の通りです。
「燈光画報 第一号」修正箇所
▶︎本文16ページ目
三条燕 着物の合わせの修正をしています。
「燈光画報 第一号 副読本」(コピー本) 修正箇所
▶︎3ページ目
【2段目5行目】
・段落位置が2文字ぶん下がっていたため、1文字分上にあげる修正を行いました。
【2段目13行目】
・文章表現の修正を行いました。
(誤)本を読んだり地図を見ながら歩いたりしながらこの本を書きました。
(正)本を読んだり地図を見ながら歩いたりしてこの本を書きました。
「燈光画報 第一号 副読本」(コピー本) 修正箇所
▶︎5ページ目
【4〜6行目】
「その写真は上條真埜介『そこにあった江戸』のP190に載っているのでよかったらご覧ください!」を加筆しています。
「燈光画報 第一号 副読本」(コピー本) 修正箇所
▶︎8ページ目
【29行目】
「団子坂で隆盛を誇った 菊人形 https://youtu.be/ir5-N5mbquM?si=mInxpD6j...」を加筆しています。
現在の予定では11/10に通販を開始できればと考えております!
どうぞよろしくお願いいたします!
#るろうに剣心 #イベント
薫殿、お誕生日おめでとう〜!
原稿のためイラストなどでお祝いする時間がないけれど、これまでもこれからも大好きです。
生まれてきてくれてありがとう。
りえりーさんのコメントもめちゃくちゃいいですね。
そしてノイタミナカフェでバースデー企画を6人分やってくれるようでぜひ行きたいけど行けるかな〜〜😭
TVアニメ「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 京都動乱」神谷薫バースデーキャンペーン
畳む
るろうに音信 も始まり、キャストさんのエピソードトークや想いを聞けるのも充実したコーナー(特に東海道るろうに旅が私得すぎる)も最高で今後も楽しみです。
去年公式から誕生日変更のお知らせがありびっくりしましたが改めて覚書。
【剣心華伝での誕生日→変更後の誕生日】
緋村剣心 1849年6月20日(変更なし)
神谷薫 1862年6月生まれ→10月10日
明神弥彦 1868年8月生まれ→11月26日
相楽左之助 1860年2月生まれ→7月30日
高荷恵 1857年12月生まれ→9月12日
四乃森蒼紫 1853年1月生まれ→1月3日
斎藤一 1844年1月生まれ→2月18日
斎藤一
(旧暦)天保15年1月1日生まれ
(新暦)1844年2月18日生まれ
→恐らく華伝の設定は旧暦だったんだ、、!
※弥彦は剣心秘伝では1869年1月生まれ
→この設定であれば第六幕扉絵の10歳は数えで10歳ということで辻褄が合うが、華伝の1868年8月生まれだと第六幕時点では数えで11歳、満年齢で9歳になる。
→あと北海道編の「明治16年初秋から半年前が元服」という設定は誕生日が1869年1月でも1868年8月でも186?年11月26日でも、辻褄は合ってはないような気もする。
#るろうに剣心 #日記
原稿のためイラストなどでお祝いする時間がないけれど、これまでもこれからも大好きです。
生まれてきてくれてありがとう。
りえりーさんのコメントもめちゃくちゃいいですね。
(ツイート埋め込み処理中...)Twitterで見る
そしてノイタミナカフェでバースデー企画を6人分やってくれるようでぜひ行きたいけど行けるかな〜〜😭
TVアニメ「るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚- 京都動乱」神谷薫バースデーキャンペーン
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るろうに音信 も始まり、キャストさんのエピソードトークや想いを聞けるのも充実したコーナー(特に東海道るろうに旅が私得すぎる)も最高で今後も楽しみです。
去年公式から誕生日変更のお知らせがありびっくりしましたが改めて覚書。
【剣心華伝での誕生日→変更後の誕生日】
緋村剣心 1849年6月20日(変更なし)
神谷薫 1862年6月生まれ→10月10日
明神弥彦 1868年8月生まれ→11月26日
相楽左之助 1860年2月生まれ→7月30日
高荷恵 1857年12月生まれ→9月12日
四乃森蒼紫 1853年1月生まれ→1月3日
斎藤一 1844年1月生まれ→2月18日
斎藤一
(旧暦)天保15年1月1日生まれ
(新暦)1844年2月18日生まれ
→恐らく華伝の設定は旧暦だったんだ、、!
※弥彦は剣心秘伝では1869年1月生まれ
→この設定であれば第六幕扉絵の10歳は数えで10歳ということで辻褄が合うが、華伝の1868年8月生まれだと第六幕時点では数えで11歳、満年齢で9歳になる。
→あと北海道編の「明治16年初秋から半年前が元服」という設定は誕生日が1869年1月でも1868年8月でも186?年11月26日でも、辻褄は合ってはないような気もする。
#るろうに剣心 #日記
新宿と渋谷で展開されているアニメるろうに剣心の広告を見てきました。
放送はいよいよ本日深夜からです…!
渋谷駅のすぐ目の前で「るろうに剣心」ってどでかい広告が流れてる令和の景色、めちゃくちゃぐっとくる。
畳む
こちらは新宿の映像。近づいて映像に魅入ってる時間も最高だったし、遠目から行き交う人越しに見るのも色々込み上げて涙ぐんでしまった。新宿ど真ん中、映像の前を忙しく通り過ぎていく人々をしばらく眺めていた。令和のこの時代に、今日、新しくまたこの物語が始まって放送するんだ〜〜〜って実感がヤバい。
畳む
"往来が激しい場所で人の流れの向こうに見える「るろうに剣心」のPV"というシチュエーションがあまりにも感慨深すぎる。
#るろうに剣心 #日記
放送はいよいよ本日深夜からです…!
渋谷駅のすぐ目の前で「るろうに剣心」ってどでかい広告が流れてる令和の景色、めちゃくちゃぐっとくる。
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こちらは新宿の映像。近づいて映像に魅入ってる時間も最高だったし、遠目から行き交う人越しに見るのも色々込み上げて涙ぐんでしまった。新宿ど真ん中、映像の前を忙しく通り過ぎていく人々をしばらく眺めていた。令和のこの時代に、今日、新しくまたこの物語が始まって放送するんだ〜〜〜って実感がヤバい。
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"往来が激しい場所で人の流れの向こうに見える「るろうに剣心」のPV"というシチュエーションがあまりにも感慨深すぎる。
#るろうに剣心 #日記
第2期第3弾PV〜!第2弾キービジュ〜!OP発表〜!追加キャスト解禁〜!情報の嵐!
10月3日(木)深夜24:55〜放送開始ということも発表になりました。
これは、もう、本気で10月3日までに原稿をなんとかしておかないと原稿も生活も破綻しそう。
るろうに剣心展 30th Anniversary Exhibition 志々雄真実篇 も控えているし京都へ行かなければならないので本当になんとかしないと……。
なんかこういう新情報発表されるたびに思うのですが、「何度でも彼らに出会うことができるんだ」、みたいな、気持ちになって、作品に改めて出会い直せた新鮮な喜びで泣いてしまいます。
前世で大好きだった人に時を超えて再び巡り会えたような?そういう類の心地に包まれるというか。
前世とはまた違うけれど限りなく似て非なる魂を持っていて、そんな彼らに改めて新しく出会うことができた喜びというか。
関わってくださる方々それぞれがるろ剣に向き合って新しいるろ剣を生み出してくれてるんだと思うと、もう嬉しさで胸がいっぱいです。
原作ファンなのでメディアミックスのたびに思うところは色々あれど、自分なりの距離感でめいいっぱい楽しみたいです。
こうして心が泡立つ瞬間があるたびに「るろうに剣心」を好きでよかった〜!と思います。
ちなみに第1期の「序幕東京」総集編もフジテレビで放送決まったので、令和版アニメるろ剣興味あるけどまだ第1期見たことないよ〜って方がいらっしゃったらぜひご覧ください。
(ツイート埋め込み処理中...)Twitterで見る
#るろうに剣心 #令和るろアニ
waveboxでご質問いただいて芋蔓式に記憶の扉が開いたので取り留めのないことを記します。ちょっと長い。
ちなみにいただいた質問とはあまり関係のないズレた内容をつらつら語っている。
私がはじめて「るろうに剣心」を読んだのは中学生の頃です。大人になってもずっと作品自体は好きだったもののなかなか自ら二次創作を描いて発信することはなかったのですが、2022年にるろミュを観たことでスパークして原作の二次創作をするようになりました。
るろミュがミュージカルとして素晴らしい演出・演技だったということはもちろんなのですが、私にとって一番鮮明に受けた衝撃は「原作の良さを強烈に再認識させてくれたこと」でした。
これまで当たり前に好きだと思っていたキャラクターやストーリーや世界観が、視覚的・聴覚的に圧倒的なリアリティを持ってガツンと脳天に突き刺さった忘れがたい体験です。
そうやってあらためて原作が大好きだと実感できた2022年。まずは自分の中の原作認識の整理を行い、あくまで(出来る限り)フラットに寄り添いながらニュートラルな視点を持った上で自分の感情に向き合いたいな〜と思いました。その気持ちは今も心に留めています(実践できているとは思っていません)。
人間って読みたいようにしか読めないし、
見たいようにしか見ることができない部分があると思うのですが、
そういう自分の歪みを認知した上で原作に向き合いたい、と思いました。
何度も繰り返し読んできた原作だけど、「自分の感情によって視界が曇る」ということに可能な限り自覚的でいようと思った時に結びついたのがジャン・ルノワールの「イタリア式本読み」です。
これは元々演劇で行われてきた手法の一つで、"極限までニュートラルに感情を抜いた声(いわゆる棒読み)で本読みをし続けていくと「生まれる何か」がある"、"あらかじめ想定した感情のニュアンスをつけてしまうとそこからの発展はない"、みたいな感じ。とにかく感情を込めずに発声を繰り返すことで「先入観のまま読解することを防ぐ」ような手法です。
私には演劇の経験はないしこれをしたところで生まれる何かはないのかもしれないけれど、たまに原作を感情を込めずに音読すると文字をそのまま脳で処理するのではなく自分の声を一度挟むぶん黙読するよりも少しだけ客観的になれるような気がします。
これは、私自身は感情移入を否定しているわけではなく、むしろめちゃくちゃ感情移入するタイプの人間だと思うからこそ「表層を表層としてあるがまま受け止めること」「感情移入を一旦せずに、書いてあることをそのまま『文字通り読む』こと」が今の自分には必要だと感じた結果思い至ったことです。これを心掛けた先にようやく初めてそこに書かれていないこと、行間を読むこと、自分が本来したい形での感情移入、ができるんじゃないかと思っています(実践できているとは思っていません)。
ところで明治について色々調べていく中で知ったことですが、江戸時代〜明治前期は「読書=音読」が一般的で、黙読をするようになったのは明治中期以降のことのようです。
イタリア式本読みを意識するかしないかは一旦脇に置いておくとしても、音読するって結構楽しい。
※上記は、私個人の萌えの方向性がこっち(こういう向き合い方をするとめちゃ楽しい)というだけで、それ以外の作品の愛し方や発露を否定する意図は全くないです!!
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ちなみにいただいた質問とはあまり関係のないズレた内容をつらつら語っている。
私がはじめて「るろうに剣心」を読んだのは中学生の頃です。大人になってもずっと作品自体は好きだったもののなかなか自ら二次創作を描いて発信することはなかったのですが、2022年にるろミュを観たことでスパークして原作の二次創作をするようになりました。
るろミュがミュージカルとして素晴らしい演出・演技だったということはもちろんなのですが、私にとって一番鮮明に受けた衝撃は「原作の良さを強烈に再認識させてくれたこと」でした。
これまで当たり前に好きだと思っていたキャラクターやストーリーや世界観が、視覚的・聴覚的に圧倒的なリアリティを持ってガツンと脳天に突き刺さった忘れがたい体験です。
そうやってあらためて原作が大好きだと実感できた2022年。まずは自分の中の原作認識の整理を行い、あくまで(出来る限り)フラットに寄り添いながらニュートラルな視点を持った上で自分の感情に向き合いたいな〜と思いました。その気持ちは今も心に留めています(実践できているとは思っていません)。
人間って読みたいようにしか読めないし、
見たいようにしか見ることができない部分があると思うのですが、
そういう自分の歪みを認知した上で原作に向き合いたい、と思いました。
何度も繰り返し読んできた原作だけど、「自分の感情によって視界が曇る」ということに可能な限り自覚的でいようと思った時に結びついたのがジャン・ルノワールの「イタリア式本読み」です。
これは元々演劇で行われてきた手法の一つで、"極限までニュートラルに感情を抜いた声(いわゆる棒読み)で本読みをし続けていくと「生まれる何か」がある"、"あらかじめ想定した感情のニュアンスをつけてしまうとそこからの発展はない"、みたいな感じ。とにかく感情を込めずに発声を繰り返すことで「先入観のまま読解することを防ぐ」ような手法です。
私には演劇の経験はないしこれをしたところで生まれる何かはないのかもしれないけれど、たまに原作を感情を込めずに音読すると文字をそのまま脳で処理するのではなく自分の声を一度挟むぶん黙読するよりも少しだけ客観的になれるような気がします。
これは、私自身は感情移入を否定しているわけではなく、むしろめちゃくちゃ感情移入するタイプの人間だと思うからこそ「表層を表層としてあるがまま受け止めること」「感情移入を一旦せずに、書いてあることをそのまま『文字通り読む』こと」が今の自分には必要だと感じた結果思い至ったことです。これを心掛けた先にようやく初めてそこに書かれていないこと、行間を読むこと、自分が本来したい形での感情移入、ができるんじゃないかと思っています(実践できているとは思っていません)。
ところで明治について色々調べていく中で知ったことですが、江戸時代〜明治前期は「読書=音読」が一般的で、黙読をするようになったのは明治中期以降のことのようです。
イタリア式本読みを意識するかしないかは一旦脇に置いておくとしても、音読するって結構楽しい。
※上記は、私個人の萌えの方向性がこっち(こういう向き合い方をするとめちゃ楽しい)というだけで、それ以外の作品の愛し方や発露を否定する意図は全くないです!!
畳む
新刊「燈光画報 第一号」通販開始いたしました!
通販ページ
よろしくお願いいたします!
#るろうに剣心