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手帖
No.69
@ひさみね
2024/9/11 23:21 (203日前)
waveboxでご質問いただいて芋蔓式に記憶の扉が開いたので取り留めのないことを記します。ちょっと長い。
ちなみにいただいた質問とはあまり関係のないズレた内容をつらつら語っている。
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私がはじめて「るろうに剣心」を読んだのは中学生の頃です。大人になってもずっと作品自体は好きだったもののなかなか自ら二次創作を描いて発信することはなかったのですが、2022年にるろミュを観たことでスパークして原作の二次創作をするようになりました。
るろミュがミュージカルとして素晴らしい演出・演技だったということはもちろんなのですが、私にとって一番鮮明に受けた衝撃は「原作の良さを強烈に再認識させてくれたこと」でした。
これまで当たり前に好きだと思っていたキャラクターやストーリーや世界観が、視覚的・聴覚的に圧倒的なリアリティを持ってガツンと脳天に突き刺さった忘れがたい体験です。
そうやってあらためて原作が大好きだと実感できた2022年。まずは自分の中の原作認識の整理を行い、あくまで(出来る限り)フラットに寄り添いながらニュートラルな視点を持った上で自分の感情に向き合いたいな〜と思いました。その気持ちは今も心に留めています(実践できているとは思っていません)。
人間って読みたいようにしか読めないし、
見たいようにしか見ることができない部分があると思うのですが、
そういう自分の歪みを認知した上で原作に向き合いたい、と思いました。
何度も繰り返し読んできた原作だけど、「自分の感情によって視界が曇る」ということに可能な限り自覚的でいようと思った時に結びついたのがジャン・ルノワールの「イタリア式本読み」です。
これは元々演劇で行われてきた手法の一つで、"極限までニュートラルに感情を抜いた声(いわゆる棒読み)で本読みをし続けていくと「生まれる何か」がある"、"あらかじめ想定した感情のニュアンスをつけてしまうとそこからの発展はない"、みたいな感じ。とにかく感情を込めずに発声を繰り返すことで「先入観のまま読解することを防ぐ」ような手法です。
私には演劇の経験はないしこれをしたところで生まれる何かはないのかもしれないけれど、たまに原作を感情を込めずに音読すると文字をそのまま脳で処理するのではなく自分の声を一度挟むぶん黙読するよりも少しだけ客観的になれるような気がします。
これは、私自身は感情移入を否定しているわけではなく、むしろめちゃくちゃ感情移入するタイプの人間だと思うからこそ「表層を表層としてあるがまま受け止めること」「感情移入を一旦せずに、書いてあることをそのまま『文字通り読む』こと」が今の自分には必要だと感じた結果思い至ったことです。これを心掛けた先にようやく初めてそこに書かれていないこと、行間を読むこと、自分が本来したい形での感情移入、ができるんじゃないかと思っています(実践できているとは思っていません)。
ところで明治について色々調べていく中で知ったことですが、江戸時代〜明治前期は「読書=音読」が一般的で、黙読をするようになったのは明治中期以降のことのようです。
イタリア式本読みを意識するかしないかは一旦脇に置いておくとしても、音読するって結構楽しい。
※上記は、私個人の萌えの方向性がこっち(こういう向き合い方をするとめちゃ楽しい)というだけで、それ以外の作品の愛し方や発露を否定する意図は全くないです!!
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私がはじめて「るろうに剣心」を読んだのは中学生の頃です。大人になってもずっと作品自体は好きだったもののなかなか自ら二次創作を描いて発信することはなかったのですが、2022年にるろミュを観たことでスパークして原作の二次創作をするようになりました。
るろミュがミュージカルとして素晴らしい演出・演技だったということはもちろんなのですが、私にとって一番鮮明に受けた衝撃は「原作の良さを強烈に再認識させてくれたこと」でした。
これまで当たり前に好きだと思っていたキャラクターやストーリーや世界観が、視覚的・聴覚的に圧倒的なリアリティを持ってガツンと脳天に突き刺さった忘れがたい体験です。
そうやってあらためて原作が大好きだと実感できた2022年。まずは自分の中の原作認識の整理を行い、あくまで(出来る限り)フラットに寄り添いながらニュートラルな視点を持った上で自分の感情に向き合いたいな〜と思いました。その気持ちは今も心に留めています(実践できているとは思っていません)。
人間って読みたいようにしか読めないし、
見たいようにしか見ることができない部分があると思うのですが、
そういう自分の歪みを認知した上で原作に向き合いたい、と思いました。
何度も繰り返し読んできた原作だけど、「自分の感情によって視界が曇る」ということに可能な限り自覚的でいようと思った時に結びついたのがジャン・ルノワールの「イタリア式本読み」です。
これは元々演劇で行われてきた手法の一つで、"極限までニュートラルに感情を抜いた声(いわゆる棒読み)で本読みをし続けていくと「生まれる何か」がある"、"あらかじめ想定した感情のニュアンスをつけてしまうとそこからの発展はない"、みたいな感じ。とにかく感情を込めずに発声を繰り返すことで「先入観のまま読解することを防ぐ」ような手法です。
私には演劇の経験はないしこれをしたところで生まれる何かはないのかもしれないけれど、たまに原作を感情を込めずに音読すると文字をそのまま脳で処理するのではなく自分の声を一度挟むぶん黙読するよりも少しだけ客観的になれるような気がします。
これは、私自身は感情移入を否定しているわけではなく、むしろめちゃくちゃ感情移入するタイプの人間だと思うからこそ「表層を表層としてあるがまま受け止めること」「感情移入を一旦せずに、書いてあることをそのまま『文字通り読む』こと」が今の自分には必要だと感じた結果思い至ったことです。これを心掛けた先にようやく初めてそこに書かれていないこと、行間を読むこと、自分が本来したい形での感情移入、ができるんじゃないかと思っています(実践できているとは思っていません)。
ところで明治について色々調べていく中で知ったことですが、江戸時代〜明治前期は「読書=音読」が一般的で、黙読をするようになったのは明治中期以降のことのようです。
イタリア式本読みを意識するかしないかは一旦脇に置いておくとしても、音読するって結構楽しい。
※上記は、私個人の萌えの方向性がこっち(こういう向き合い方をするとめちゃ楽しい)というだけで、それ以外の作品の愛し方や発露を否定する意図は全くないです!!
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