No.19
けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。
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lilyの織さんからいただいた短歌や文を 戴き物 のページにまとめました。本当に本当にありがとうございます!
こちらの短歌「 折句 緋村剣心/神谷薫 」は2022年7月28日に織さんに詠んでいただいたものです。詳しい経緯と感想は以前WEBオンリー浪漫博覧会での無配で書いたので、下記に再録します。
折句、というものを初めて知ったのですが本当に凄過ぎて感激しまくりました。
今も私のスマホの待受はこの二首です。
#るろうに短歌 #戴き物
緋村剣心/神谷薫
この二人の名前で折句を詠んでもらったのが二〇二二年七月二八日のことだった。
朝まどろみながら習慣的に開いたツイッターに折句二首が投稿されていて、昨夜リクエストしたばかりのものがもう掌の中にあるという驚きがまず最初にあった。
三十一音の中に「ひむらけんしん」「かみやかおる」の名前を折り込んで短歌を作る。私にはどう逆立ちしてもこの二首のような配列を組み立てることができないし、ただ名前の文字が組み込まれているだけではなく、三十一音の響きが生み出す奥行きと膨らみは同じことを私が千字で説明するよりも遥かに実態を伴って胸に迫る。
ひ 日を生きて
む 群れる子と遠
ら 雷を聴く
けん けんけんぱあは
しん 真摯な歩み
剣をそのまま『剣』で繋げないことの凄さ。『剣』から「けんけんぱあ」という言葉を手繰り寄せている上に、それは彼が守りたいと望んだ平和な時間そのものであるように思う。その日一日を生きることの尊さを噛み締めながら、子が群れ笑い熱心に遊びに耽る様子を慈しみ眺めている様がここに在る。「遠雷」で、夏の匂いが立ち込める。夕立が来そうだから、そろそろ帰ろうか、と微笑む彼が居る。
何しろ「遠雷」のところのリズムがいい。そう伝えたら「句跨ぎ」という技法であることを教えてもらった。一つの熟語が句を跨いでいることで五七五七七のリズムの中にまた別の動きが生まれるような心地よさがあるように感じる。声に出して読むとさらに一音一音いとおしさが込み上げてくる。
かみ 髪にふれ
や ヤツデも花に
か 変わること
お 教えてあげて
る 流浪のあとに
ここでの「ヤツデ」は、庭木として日常にありふれた植物、しかしそこに帯びる日陰のイメージ、花が咲かなそうなイメージをこれまでの『剣術』に見立てているのではないかと私は解釈していて、そのヤツデを選び取ったことにまた感動している。
髪に触れられる、その二人の距離感。ヤツデも花に変わること。人を斬らずに人を守る道、人を活かす剣にやがて変わっていってほしいという彼の願いを体現しようとする彼女。長く孤独な流浪の果てに辿り着いた「ただいま」と言える場所で、ひたむきに生きる彼女のその生き様で、教えてあげて、と。
この二首に限らず、織さんの言葉が描く情景が好きだ。合同誌に収録したほかの六首はさらに抽象的で、それゆえに普遍性のある六首であるように思う。直接的にるろうに剣心だと説明するようなものではなく、あらゆる瞬間が光って浮かび、ゆっくりと焦点が結ばれる。目を瞑った時に網膜の中にチカチカ光って見える風景のようだと思った。いつかの、誰かの。そういう風景が私に流れ込んでくる。
合同誌タイトル「愛されていたことだけわかる」も繰り返し読めば読むほど、なんて静謐な心象風景の中に優しい波紋を広げるような響きをもつ言葉なんだと震えた。時間や空間を超えてふと誰かが立ち止まり振り返るような視線の動きを感じる。
私の好きな宮沢賢治の『注文の多い料理店』序にこんな文章がある。
織さんの言葉も私にとっての「すきとおったほんとうのたべもの」だと思う。この本を手に取ってくださった誰かにとってもそうなってもらえたら、どんなにさいわいかわからない。
引用
宮沢賢治「注文の多い料理店」新潮文庫
※あくまで私(ひさみね)の個人的な感想であり、短歌の解釈を一つに定めるものではありません。
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