No.20
残せないものなどなくて手のひらの上に崩れた雪はつめたい
蝶も人も等しく花の香のたもと祈りのようにまぶたを降ろす
木蓮を揺らした風が頬にふれ今日までの正しさを肯う
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lilyの織さんからいただいた短歌や文を 戴き物 のページにまとめました。本当に本当にありがとうございます!
こちらの短歌「 花筵 」は2022年9月28日に織さんに詠んでいただいたものです。
雪代巴/神谷薫/緋村剣心の3人のあいだにある名状しがたい関係性を詠んでくださっていて、立ち上がる情景に息をのみました。
花筵とは「草花などが一面に咲きそろったさま、また、桜などが一面に散りしくさまなどを筵にたとえていう語。(引用:コトバンク)」とのことです。
私なりに抱いた感想を下記に記します。
#るろうに短歌 #戴き物
巴って「あの日死んだ」ことだけが巴の全てではなくて、それまで精一杯生きたこと、人を憎み愛し不器用に生きたこと、そういう巴の人生が、本当は剣心の中に残っている。剣心自身も答を見つけるまでは巴が罪の象徴となってしまっていたけれど、そうじゃなくて、巴はちゃんと生きたんだ、ってことが剣心の中に在る。凍てついた時間ではなくて、指先に触れる、じんわり広がるつめたさ。「生きたこと」の名残として「つめたい」という言葉を置いている。悲劇だった、忌むべき過去だった、と帰結するのではない。
あの日たしかに腕の中で静かにつめたくなっていったけれど、巴の「生」は剣心の中に溶け残っている。
記憶と香りは密接に結びついていて、その香のたもとでは蝶の羽のように人もまぶたを降ろす。誰しも。
剣心の過去に、巴の過去に、思いを馳せる薫。語りたくない過去を語ってくれたこと。その過去は現在の剣心に地続きで繋がっている。薫が大切だとおもう、現在の『剣心』を形作っている。過ぎ去った時間を巻き戻すことはできないけれど、たしかに生きた巴を想う。人生は不可逆。だから、祈る。
蝶から想起される情景は昼で、「まぶたを降ろす」ところで夜の帳が降りて、そっと「おやすみ」という言う薫が目に浮かぶ。
「今日までの正/しさを肯う(うべなう)」が、句跨ぎになっていて、この一首の中に流れる過去と現在に至るまでの時間感覚を手繰り寄せる感じがある。過去を見つめ、風が吹き、振り向く、その起点。言葉のリズムによって動作を与えているような。
頬にふれる風は薫。過ちを犯してきたけれど、剣心が今日まで生きてきたことは正しい。それを肯定して、今、生きていることをありのままに受け止めて、受容する。木蓮はいろんなものを内包した「生命」みたいな。どこか巴のようでもある。風がやさしくふれる。その風が、剣心の「生」を肯う。
許されないで終わるかもしれない、報われない人生になるかもしれない。
それでも、生きて、その人生を完遂しようとする剣心。
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