日日

人間と人間が互いに一緒に居たいと望んだ結果、共に暮らしを営むということ。自立した一個人としてその選択を己の意志で選び取ったこと。相手を慈しみ共に生活することで持ち得る"生の実感"に果てしなく惹かれる。 #る
告白(後編)で剣心がどんなものでも移ろいゆくよ、変わらないものなどないよ、と言っているのもめちゃくちゃ好きだし、それに対する薫の「私は剣心と一緒にずっと居たい」という言葉選びがとても好きだ。その上ただいまと口にしたのは流浪人になってからは京都から帰ってきたあの時が初めてだよ、って剣心の返答も好き(実は東京編で既に2回ほどただいまと口にしているけど、剣心本人の認識が神谷道場=今の己が帰る場所ってことなのが大事)。
「告白」と言うタイトルでこの会話を持ってくるところが本当に本当に最高すぎる。
時代も人も常に移ろいゆくものだけど、それでも、ただあなたと一緒にずっと居たい、という在り方がめちゃくちゃいい。一緒に居る理由は「一緒に居たい」というだけでいい。 #る
和月先生が剣心と薫を描くにあたって特に大切にしていることがなによりも「ゆっくりと深まっていく人の絆」だったからこそしなやかに枝葉が伸び育まれたと思うとさらにいとおしい。 #る
葉や実は季節と共に色づきやがて移り変わっていくけれど、剣心と薫にとっての「ゆっくりと深まっていく人の絆」は大樹の幹や根のようなものなんだろうと思う。 #る
私は「寂しさ」に自覚的な人が好きだけど、それはなんというか、人間が生きていく上で根源的に抱えるような寂しさであって、解消したいものでも忘れ去りたいものでもない。産まれ落ちた寂しさの膜みたいなものはうっすらと心に張っていて、それは他者の干渉でどうにかできるものではないけれど、溶け合うことのできない皮膚の感触があなたと私の輪郭を教えてくれる、みたいな二人が好き。だからこそ日々のささやかな可笑しみを分け合って哀しさと寂しさを個々に携えながら同じ夕日を眺めて目を細めてほしい、のだと思う。 #る
風となって頬を撫でてくれるってなんか、なんだっけかな〜と思ってググったら木下龍也さんの短歌だ。日々を何度も撫でる、だ。めちゃくちゃ良い。

愛された犬は来世で風となりあなたの日々を何度も撫でる
いつでも手を離すことはできたかもしれない。それでも、今こうして手を繋いで歩いていく道を二人は選んだというのが良い。たとえいずれ繋いだ手を離すときが来たとしても、これまで交わした言葉と時間が、記憶が、やさしい風となって頬を撫でてくれる。 #る
変わり映えのないようでいて毎日が常に新しい一日として流れていく。日々のささやかな可笑しみを分け合って哀しさと寂しさを個々に携えながら同じ夕日を眺めて目を細めてほしい。
「自分はまだ死ぬわけにはいかない」と思う意志の根っこにあなたがいる。その気持ちがどんなときも力強い一歩をあゆませてくれる。互いにそんな存在である剣心と薫がやっぱりめちゃくちゃ良い。
「自然にしっくりしてる」状態が基盤にあって、その上で注ぎ続けた水が満ちたコップから時折溢れ出るように互いに豊かな感情がその時々であふれる、という感じだったらいいなと思う。互いのコップにそっと水を注ぐように慈しみ合う二人が好き。
こういう表現もっといろんなバリエーションで考えたいしそれぞれの表現ももっと伝わりやすくブラッシュアップしたいな。 #る
だからこそ巻之18で京都から帰ってきたあとの二人はドキドキラブラブというよりは「自然にしっくりしてる」距離感になってるんだなと益々腑に落ちる。この左之助が評したように「自然にしっくりしてる」状態が基盤にあって、その上で注ぎ続けた水が満ちたコップから時折溢れ出るように互いに豊かな感情がその時々であふれる、という感じだったらいいなと思う。互いのコップに水をそっと注ぐように慈しみ合う二人が私はいとおしくて胸がいっぱいになるし、和月先生からこの言葉を聞けて本当に嬉しい。 #る
人として絆を深めていった先に共に生きる道を選び取って今があるんですね……____「お帰りなさい」「ただいまでござる」「私は剣心と一緒にずっと居たい」「今一番大切な人」をはじめとした原作のセリフの重みと眩しさと表現の秀逸さに何度も唸ってしまう。本当に素晴らしい言葉選びと物語進行すぎる。 #る
剣心と薫は男女の恋愛というよりは、
ゆっくりと深まっていく人の絆という感覚で
描いていました。
そしたらキャラクターたちが勝手に動き出して
こうなった、という感じです。

『るろうに剣心祭 京都動乱開幕戦』で原作者の和月先生への「剣心と薫の距離感を描くうえで特に大切にしていることは」という質問とその回答が本当に最高すぎたので大きく書き出して貼っておきたい。 #る
今日は『るろうに剣心祭 京都動乱開幕戦』!PVも公開されて益々10月が楽しみだ〜!
選挙に行くたびにユポ紙の書き心地、を思う。
江戸時代にあった町木戸(町の境にあって夜は閉まるやつ)は明治5年に撤去されてるんだな〜。長屋の入り口にあたる裏木戸についていつまでどのようになってたかあとで調べたい。#る #メモ