カテゴリ「murmur」[58件](3ページ目)
新宿と渋谷で展開されているアニメるろうに剣心の広告を見てきました。
放送はいよいよ本日深夜からです…!
渋谷駅のすぐ目の前で「るろうに剣心」ってどでかい広告が流れてる令和の景色、めちゃくちゃぐっとくる。

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こちらは新宿の映像。近づいて映像に魅入ってる時間も最高だったし、遠目から行き交う人越しに見るのも色々込み上げて涙ぐんでしまった。新宿ど真ん中、映像の前を忙しく通り過ぎていく人々をしばらく眺めていた。令和のこの時代に、今日、新しくまたこの物語が始まって放送するんだ〜〜〜って実感がヤバい。



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"往来が激しい場所で人の流れの向こうに見える「るろうに剣心」のPV"というシチュエーションがあまりにも感慨深すぎる。
#るろうに剣心 #日記
放送はいよいよ本日深夜からです…!
渋谷駅のすぐ目の前で「るろうに剣心」ってどでかい広告が流れてる令和の景色、めちゃくちゃぐっとくる。


こちらは新宿の映像。近づいて映像に魅入ってる時間も最高だったし、遠目から行き交う人越しに見るのも色々込み上げて涙ぐんでしまった。新宿ど真ん中、映像の前を忙しく通り過ぎていく人々をしばらく眺めていた。令和のこの時代に、今日、新しくまたこの物語が始まって放送するんだ〜〜〜って実感がヤバい。




"往来が激しい場所で人の流れの向こうに見える「るろうに剣心」のPV"というシチュエーションがあまりにも感慨深すぎる。
#るろうに剣心 #日記
第2期第3弾PV〜!第2弾キービジュ〜!OP発表〜!追加キャスト解禁〜!情報の嵐!
10月3日(木)深夜24:55〜放送開始ということも発表になりました。
これは、もう、本気で10月3日までに原稿をなんとかしておかないと原稿も生活も破綻しそう。
るろうに剣心展 30th Anniversary Exhibition 志々雄真実篇 も控えているし京都へ行かなければならないので本当になんとかしないと……。
なんかこういう新情報発表されるたびに思うのですが、「何度でも彼らに出会うことができるんだ」、みたいな、気持ちになって、作品に改めて出会い直せた新鮮な喜びで泣いてしまいます。
前世で大好きだった人に時を超えて再び巡り会えたような?そういう類の心地に包まれるというか。
前世とはまた違うけれど限りなく似て非なる魂を持っていて、そんな彼らに改めて新しく出会うことができた喜びというか。
関わってくださる方々それぞれがるろ剣に向き合って新しいるろ剣を生み出してくれてるんだと思うと、もう嬉しさで胸がいっぱいです。
原作ファンなのでメディアミックスのたびに思うところは色々あれど、自分なりの距離感でめいいっぱい楽しみたいです。
こうして心が泡立つ瞬間があるたびに「るろうに剣心」を好きでよかった〜!と思います。
ちなみに第1期の「序幕東京」総集編もフジテレビで放送決まったので、令和版アニメるろ剣興味あるけどまだ第1期見たことないよ〜って方がいらっしゃったらぜひご覧ください。
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#るろうに剣心 #令和るろアニ
waveboxでご質問いただいて芋蔓式に記憶の扉が開いたので取り留めのないことを記します。ちょっと長い。
ちなみにいただいた質問とはあまり関係のないズレた内容をつらつら語っている。
私がはじめて「るろうに剣心」を読んだのは中学生の頃です。大人になってもずっと作品自体は好きだったもののなかなか自ら二次創作を描いて発信することはなかったのですが、2022年にるろミュを観たことでスパークして原作の二次創作をするようになりました。
るろミュがミュージカルとして素晴らしい演出・演技だったということはもちろんなのですが、私にとって一番鮮明に受けた衝撃は「原作の良さを強烈に再認識させてくれたこと」でした。
これまで当たり前に好きだと思っていたキャラクターやストーリーや世界観が、視覚的・聴覚的に圧倒的なリアリティを持ってガツンと脳天に突き刺さった忘れがたい体験です。
そうやってあらためて原作が大好きだと実感できた2022年。まずは自分の中の原作認識の整理を行い、あくまで(出来る限り)フラットに寄り添いながらニュートラルな視点を持った上で自分の感情に向き合いたいな〜と思いました。その気持ちは今も心に留めています(実践できているとは思っていません)。
人間って読みたいようにしか読めないし、
見たいようにしか見ることができない部分があると思うのですが、
そういう自分の歪みを認知した上で原作に向き合いたい、と思いました。
何度も繰り返し読んできた原作だけど、「自分の感情によって視界が曇る」ということに可能な限り自覚的でいようと思った時に結びついたのがジャン・ルノワールの「イタリア式本読み」です。
これは元々演劇で行われてきた手法の一つで、"極限までニュートラルに感情を抜いた声(いわゆる棒読み)で本読みをし続けていくと「生まれる何か」がある"、"あらかじめ想定した感情のニュアンスをつけてしまうとそこからの発展はない"、みたいな感じ。とにかく感情を込めずに発声を繰り返すことで「先入観のまま読解することを防ぐ」ような手法です。
私には演劇の経験はないしこれをしたところで生まれる何かはないのかもしれないけれど、たまに原作を感情を込めずに音読すると文字をそのまま脳で処理するのではなく自分の声を一度挟むぶん黙読するよりも少しだけ客観的になれるような気がします。
これは、私自身は感情移入を否定しているわけではなく、むしろめちゃくちゃ感情移入するタイプの人間だと思うからこそ「表層を表層としてあるがまま受け止めること」「感情移入を一旦せずに、書いてあることをそのまま『文字通り読む』こと」が今の自分には必要だと感じた結果思い至ったことです。これを心掛けた先にようやく初めてそこに書かれていないこと、行間を読むこと、自分が本来したい形での感情移入、ができるんじゃないかと思っています(実践できているとは思っていません)。
ところで明治について色々調べていく中で知ったことですが、江戸時代〜明治前期は「読書=音読」が一般的で、黙読をするようになったのは明治中期以降のことのようです。
イタリア式本読みを意識するかしないかは一旦脇に置いておくとしても、音読するって結構楽しい。
※上記は、私個人の萌えの方向性がこっち(こういう向き合い方をするとめちゃ楽しい)というだけで、それ以外の作品の愛し方や発露を否定する意図は全くないです!!
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ちなみにいただいた質問とはあまり関係のないズレた内容をつらつら語っている。
私がはじめて「るろうに剣心」を読んだのは中学生の頃です。大人になってもずっと作品自体は好きだったもののなかなか自ら二次創作を描いて発信することはなかったのですが、2022年にるろミュを観たことでスパークして原作の二次創作をするようになりました。
るろミュがミュージカルとして素晴らしい演出・演技だったということはもちろんなのですが、私にとって一番鮮明に受けた衝撃は「原作の良さを強烈に再認識させてくれたこと」でした。
これまで当たり前に好きだと思っていたキャラクターやストーリーや世界観が、視覚的・聴覚的に圧倒的なリアリティを持ってガツンと脳天に突き刺さった忘れがたい体験です。
そうやってあらためて原作が大好きだと実感できた2022年。まずは自分の中の原作認識の整理を行い、あくまで(出来る限り)フラットに寄り添いながらニュートラルな視点を持った上で自分の感情に向き合いたいな〜と思いました。その気持ちは今も心に留めています(実践できているとは思っていません)。
人間って読みたいようにしか読めないし、
見たいようにしか見ることができない部分があると思うのですが、
そういう自分の歪みを認知した上で原作に向き合いたい、と思いました。
何度も繰り返し読んできた原作だけど、「自分の感情によって視界が曇る」ということに可能な限り自覚的でいようと思った時に結びついたのがジャン・ルノワールの「イタリア式本読み」です。
これは元々演劇で行われてきた手法の一つで、"極限までニュートラルに感情を抜いた声(いわゆる棒読み)で本読みをし続けていくと「生まれる何か」がある"、"あらかじめ想定した感情のニュアンスをつけてしまうとそこからの発展はない"、みたいな感じ。とにかく感情を込めずに発声を繰り返すことで「先入観のまま読解することを防ぐ」ような手法です。
私には演劇の経験はないしこれをしたところで生まれる何かはないのかもしれないけれど、たまに原作を感情を込めずに音読すると文字をそのまま脳で処理するのではなく自分の声を一度挟むぶん黙読するよりも少しだけ客観的になれるような気がします。
これは、私自身は感情移入を否定しているわけではなく、むしろめちゃくちゃ感情移入するタイプの人間だと思うからこそ「表層を表層としてあるがまま受け止めること」「感情移入を一旦せずに、書いてあることをそのまま『文字通り読む』こと」が今の自分には必要だと感じた結果思い至ったことです。これを心掛けた先にようやく初めてそこに書かれていないこと、行間を読むこと、自分が本来したい形での感情移入、ができるんじゃないかと思っています(実践できているとは思っていません)。
ところで明治について色々調べていく中で知ったことですが、江戸時代〜明治前期は「読書=音読」が一般的で、黙読をするようになったのは明治中期以降のことのようです。
イタリア式本読みを意識するかしないかは一旦脇に置いておくとしても、音読するって結構楽しい。
※上記は、私個人の萌えの方向性がこっち(こういう向き合い方をするとめちゃ楽しい)というだけで、それ以外の作品の愛し方や発露を否定する意図は全くないです!!
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#るろうに剣心 #絵
流浪の旅から帰ってきました。原稿の遅れを取り戻すぞ〜!と思いつつ関係のない絵を描いてしまった。なぜ。
アニメるろうに剣心 京都動乱の第1弾キービジュアルと第2弾PV公開されましたね!
特別番組『るろうに通信』第2回を見たときはまだ旅の途中で、通信環境の良くない場所でところどころ見た感じなので、後ほどゆっくりアーカイブを見返したいと思います。
以下ネタバレあり。
PVに抜刀斎と猫が映った瞬間鼓動がかなり早まったんですが、あの原画展でのみ一部公開されてた「逆刃刀初撃」をアニメでやるのか〜!と思うともう胸がいっぱいです。
蝶は死者の魂なイメージ強いけど幸福を告げる象徴とも取れるしどんなシーンになるのかこれも今から楽しみだな〜!
るろうに通信。
登場人物制作秘話で言及されてた尖角の幻の必殺技「串刺し頭突き」が見えた気がしたんだけどこれも先生がやりたかったことの実現としてやるのかな。
#令和るろアニ
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剣心と薫は男女の恋愛というよりは、
ゆっくりと深まっていく人の絆という感覚で
描いていました。
そしたらキャラクターたちが勝手に動き出して
こうなった、という感じです。
『るろうに剣心祭 京都動乱開幕戦』にて「剣心と薫の距離感を描くうえで特に大切にしていることは」という質問に対しての和月先生からの回答が上記の文章なんですが、あまりにも最高なので 日日 の方だけでは飽き足らず繰り返しになりますがこちらの手帖にも書いておきます。Twitter的なつらつらととめどなく溢れ出る萌え語りは 日日 の方でしているのでご興味のある奇特な方は覗いてみてください。
人として絆を深めていった先に共に生きる道を選び取って今があるんですね……____「お帰りなさい」「ただいまでござる」「私は剣心と一緒にずっと居たい」「今一番大切な人」をはじめとした原作のセリフの重みと眩しさと表現の秀逸さに何度も唸ってしまう。本当に素晴らしい言葉選びと物語進行すぎる。
だからこそ巻之18で京都から帰ってきたあとの二人は恋愛的なドキドキラブラブというよりは「自然にしっくりしてる」距離感になってるんだなと益々腑に落ちる。この左之助が評したように「自然にしっくりしてる」状態が基盤にあって、その上で注ぎ続けた水が満ちたコップから溢れ出るように互いに豊かな感情がその時々であふれる、という感じだったらいいなと思う。互いのコップに水をそっと注ぐように慈しみ合う二人が私はいとおしくて胸がいっぱいになるし、和月先生からこの言葉を聞けて本当に嬉しい。
#るろうに剣心 #令和るろアニ
2024年10月27日(日)COMIC CITY SPARK 19・東京ビッグサイト
弊サークル「春泥」は【東6ホール ゆ61a】にてスペースを頂戴いたしました。
当日は「東京浪漫博覧会」というるろ剣プチオンリーが開催されます。
どうぞよろしくお願いいたします!
#るろうに剣心